空手道への第一歩を踏み出す上に大切なことは、その動機に対する心構えであります。空手道は長い間、無手勝拳として秘密的に、又君子の武道としての発展過程を経ている。しかしここ、二十数年の間に大衆化と、マスコミ社会のレールに乗って、国内外に大発展を遂げている。大衆化に伴って、今日では、健康づくりとしての空手道の推移が強く、武術的要素から、武道的なものへ、更に、スポーツ化から健康空手へと、その推移をみることができる。
しかし流れがどのように変化しても、徒手空拳、一撃必殺の基本的思想は久遠のものである。空手道を学ばんとする者の最も大切な心構えは、この基本原理に基づいた思想を基礎として、健康な体作りによる心身の練磨であり、その為には、個人差にあった空手を身につけることである。空手を学ばんとする者は、精神的に安定し、純粋性に富んだ者でなければならないし、常に、向上心に燃えた知的人間でなければならない。空手道を学ばんとする者の多くは、老若男女を問わず、護身的、健康的、精神力養成、根気づくり等の目的がほとんどである。
その目的は、空手を修練することによって、確かに身につけることが出来るかも知れない。しかしそれは、究極的には、社会に還元出来得るものでなければ空手道本来の修業には無意味である。人間社会に活かせる空手道、即ち活人拳を目指して自己との闘いに臨む事が大切である。空手道が生活に密着して、文化的、社会的、体育的に活路を見いだす事によって、その技術的、精神的技倆の存在価値が、クローズアップされることになる。
空手道は、基本技を母体として、型と組手がセットされている。即ち、自転車に例えるならば、型と組手は両輪であり、そのどちらかが欠けても走行できない訳である。技も複雑で多種多様であるが故に、毎日根気よく続けることが上達の近道であり、続けていくうちに面白くてたまらなくなる。丁度、今日種をまいて、明日花の咲く植物はないように、空手も同じで、花の咲く日を目指して努力を重ねる事が肝要である。その為には、しっかりした基礎と、何ものにも挫けない強く正しい心を、稽古を通じて培うことである。
空手道との出会いを良きチャンスとして、自己の人間改造を行って尊き月日を無駄にすることなく、不退転の気力で空手を通じ新人生を築き上げていきましょう。